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小澤塾が開催したサーフキャンプとイベントを紹介致します。


by ozawajuku

西オーストラリア パースの旅(ロッドネス島横断20キロOWS)

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2007年にも行き、残念ながら海の状態が悪く(海が荒れていてキャンセルになりました)、挑戦出来なかった金子さんが再度7年越しで挑戦したいということになりました。この『ロッドネス島横断20キロ』(バース郊外のコテスロービーチ~ロッドネス島)は、スキッパー(船及び船長)とパドラー(カヌーとバドラー)、マネージャー、ソロスイマーの4人一組になり、その4人と船やカヌーが無いと参加出来ない大会であり、参加規定も厳しく、かなり大変な大会であります。
19日の水曜の夜10時半に羽田空港に集合して、翌20日の木曜の夜中12時半に羽田空港を出発しました。シンガポールのバブ空港(チャニン空港)を経由で行く予定でしたが、予定のパース行きには乗れず、2時間後のパース行きの飛行機に乗りました。(パブ空港なのか、飛行機の発着が多く、使用ゲートになかなか入れず、トランジット失敗。帰りも離陸待ちで時間がかなりかかりました。)予定より遅れたため、パース空港でレンタカーを借りて、買い物(食材など)をして宿舎のホテル(コンドミニアム)のコテスローシャレーに着いて、すぐに7時からスキッパー、パドラー、スイマー(カテゴリーがソロ、デュオ、リレーがあり、今回の日本チームは、ソロ2組、リレー2組)、マネージャーを含めて、通訳を介して、入念に打合せを行いました。スイマーとパドラーの待ち合わせ場所、スイマーとパドラーが並走してからスキッパー(マネージャーの乗船)している船との待ち合わせ場所など、細かく打合せを行いました。私は、前回同
様、マネージャーともう一つの役割であります金子さんの食事管理を行う事になりました。初日は、カクテルシュリンプ、ステーキ、サラダ、ご飯、味噌汁等を用意して、万全な態勢で望んで欲しく、ストレスの無い、炭水化物多めのメニューを心掛けました。勿論、日本食を中心とした物と味付けにしました。そして就寝。
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21日の木曜は、前日ということで、海のコンディションを調べたり、泳いだりしながら、比較的ゆっくり過ごしました。翌日の22日は、いよいよ決戦の時です。マネージャーは3時起床4時にホテルを出発する為(金子さんも同じ時間に起きて準備をしてました)、選手の食料や飲み物の準備に余念がなく、完璧な状態で大会に望めるようにしました。選手も5時に集合、エントリーの確認などがあり、最初のスタートは6時、金子さんのスタートは6時15分、沖合い1キロ辺りにいましたが、スタートのコールが良く聞こえるオフショアのホローの風、うねりは少しあるがベストコンディション、ただ水温が23℃若干低く、その辺りが心配でありました。(のちにロンドン五輪のオープンウォーターの選手の平井選手と会う機会があり、話を聞いたら、彼自身も23℃以下は低温用に身体に塗るようです。)お恥ずかしい話ですが、私は金子さんとパドラーのジョスが、私のことと私の乗っている船をいち早く見つけていたようです。(
私はアクラブのオレンジ色の長袖を着ていたのですが、それがすぐにわかったと金子さんに後ほど言われました)いよいよ、20キロの戦いの始まりです。バドラーのジョス、スキッパーのベンジャミンと両側から金子さんを挟むようにサポート。ジョスが呼吸側にいて、常に金子さんの様子を見ている感じで、凄く心強いスタッフに囲まれている感じながら順調に進んでいきました。最初は1キロ15分位のペースで10キロ付近まで進み、10キロのTEN()のブイが北の遠くに見えたころ、サンドイッチを一切れ食べただけで、食べれないとのこと、ちょっと様子がおかしくなり、水分補給を指示、スポーツドリンクも飲めないとのことで、水の補給。波酔いとのことでした。10キロから14キロが体力的にも流れやエンジンオイルの匂い、寒さ、波酔いなど、かなり苦しんでいる様子でした。10キロ過ぎから私もジョス、ベンジャミンも金子さんから目が離せない状況です。いつ何が起こるか、わからない状況でしたから。14キロ過ぎからは、腰が痛くなったようで3
0分毎の休憩も少しずつ長くなりますが、仕方ないととりあえず進むしかないでしたから。そうやってるうちに上空を見るとライフガードのヘリコプターがやけにそばを旋回してます。何がおかしいとおもいましたら。後ほど、テレビで確認しましたが、ハンマーシャークがそばにいたようです。しかし、ライフガードの監視化にいるのですから、大丈夫でした。
14キロ過ぎからは1キロおきにブイがあり(徐々にゴールが近づいてくると船やカヌーが密集して、凄い数の船とカヌーでした。実際には、参加者3000名、1000チームですから、船もカヌーも1000雙ですから)、私のミスですが、17キロのブイと18キロを間違えてしまい、金子さんにはかなりダメージを与えてしまいました。しかし、14キロ過ぎから、少しテンポも上がり、リズムが取り戻せているようでした。19キロで金子さんとカヌーと別れ、私は船着き場で船から降りました。その時に携帯の日本語訳で「私は、金子さんを尊敬します。祝福をしてます。」とのコメントを頂き、ベンジャミンとは抱き合って、やり遂げた感想と感動的な別れでした。我々チームが一丸となり、金子さんをサポートしていたことを実感できた時でした。船を後にして、ゴール地点に向かいましたら、金子さんにはなかなか会えなかったのですが、ジョスには会えて、本当に感謝を伝えました。その後、金子さんに会い、やっとやり遂げ実感を感じ、感無量でした。金子さんは、体力よりも波酔いや冷えによる内臓の調子が思わしくないようし。少し休憩して頂いてました。1時間後位にアクラブのリレーチームゴール間近の連絡が入り、金子さんはゴール付近へ。その後、少し落ち着いてきた様子でしたので、2人で20キロを振り返ったりしてました。午後の5時からソロスイマーの表彰式が行われ、チャンネルTENの放映に合わせて、ソロスイマー全員の写真撮影、メダルの授与が行われ、大変な盛り上がりでした。この大会のソロスイマーに対する賞賛や尊敬は、凄いものでした。実際に後で聞いた話ですが、プログラムには、名前が必ず載り、市民権を持っている方なら自分のゼッケンの車のナンバープレートを貰えるようです。
さすがに2回の挑戦とはいえ、初めてのチャレンジでしたが、本当に感謝や感動、そして、今は無事で帰って来れた事に心から安堵しています。西オーストラリア パースの旅(ロッドネス島横断20キロOWS)_d0195419_14040263.jpg西オーストラリア パースの旅(ロッドネス島横断20キロOWS)_d0195419_14015696.jpg
by ozawajuku | 2014-03-17 16:26